札幌簡易裁判所 平成10年(ハ)4809号 判決 1998年12月22日
第一事件原告
株式会社スターオフファイナンス
右代表者代表取締役
仲角禎二
第二事件原告
株式会社ローンズスター
右代表者代表取締役
仲角廣子
第一・第二事件被告
佐藤雅彦
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、第一事件について生じた費用は第一事件原告の、第二事件について生じた費用は第二事件原告の各負担とする。
事実及び理由
第一 請求の趣旨
一 第一事件
被告は、原告に対し、一七万六一〇二円及び内金八万〇二五三円に対する平成一〇年六月二日から支払済みまで年三六パーセントの割合による金員を支払え。
二 第二事件
被告は、原告に対し、八八万六〇四五円及び内金二五万六三六二円に対する平成一〇年二月二〇日から支払済みまで年三六パーセントの割合による金員を支払え。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 第一事件
(一) 貸金業者である原告は、被告と平成二年九月一三日、限度額一〇万円の借入限度基本契約を締結し、同日左記の約定で一〇万円を被告に貸し渡した。
記
(1) 利率 年39.42パーセント
(2) 利息支払日 平成二年一〇月より毎月二日
(3) 元金支払日 契約締結日から三年以内
(4) 損害金率 年46.72パーセント
(5) 右支払について、一回でも利息の支払を怠ったときは、当然に期限の利益を失い、元本並びに利息及び損害金を一時に支払う。
(二) 被告は、平成二年一〇月二日の利息の支払を怠り、期限の利益を喪失した。
(三) よって、原告は、被告に対し、本件消費貸借契約に基づき、貸金残元金八万〇二五三円と平成一〇年六月一日までの確定遅延損害金九万五八四九円及び右貸金残元金に対する同年同月二日から支払済みまで利息制限法所定の年三六パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。
2 第二事件
(一) 貸金業者である原告は、被告と平成二年七月四日、限度額三〇万円の借入限度基本契約を締結し、同日左記の約定で三〇万円を被告に貸し渡した。
記
(1) 利率 年39.42パーセント
(2) 利息支払日 平成二年八月より毎月三日
(3) 元金支払日 契約締結日から三年以内
(4) 損害金率 年46.72パーセント
(5) 右支払について、一回でも利息の支払を怠ったときは、当然に期限の利益を失い、元本並びに利息及び損害金を一時に支払う。
(二) 被告は、平成二年九月三日の利息の支払を怠り、期限の利益を喪失した。
(三) よって、原告は、被告に対し、本件消費貸借契約に基づき、貸金残元金二五万六三六二円と平成一〇年二月一九日までの確定遅延損害金六二万九六八三円及び右貸金残元金に対する同年同月二〇日から支払済みまで利息制限法所定の年三六パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。
二 抗弁(時効消滅)
1 請求原因1記載の貸金債権について、被告が第一事件原告に対して再抗弁記載の支払を除いて最終の支払をした日の翌日である平成二年一二月二六日から起算して五年が経過した。
2 請求原因2記載の貸金債権について、被告が第二事件原告に対して再抗弁記載の支払を除いて最終の支払をした日の翌日である平成二年一二月二八日から起算して五年が経過した。
3 被告は、平成一〇年一〇月二日の第一事件及び第二事件の各第一回口頭弁論期日において、原告らに対し、それぞれ右1・2記載の消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
三 再抗弁(信義則違反)
1 被告は、原告らの債権についてそれぞれ時効が完成した後、時効援用の意思表示をする前に、原告らに対して次のとおり債務の一部を弁済した。
第一事件原告に対して
平成一〇年二月一八日 四万円
同年三月一六日 三万円
同年五月二五日 一万円
同年六月一日 一万円
第二事件原告に対して
平成一〇年二月一九日 三万円
2 右各弁済によって、被告は原告らに対する債務の承認をしたものであるから、その後時効を援用することは、信義則に反し許されない。
第三 当裁判所の判断
一 請求原因の事実は、全て当事者間に争いがない。
二 抗弁の事実中、1記載の被告の第一事件原告に対する時効完成前の最終支払日が平成二年一二月二五日であること及び2記載の被告の第二事件原告に対する時効完成前の最終支払日が平成二年一二月二七日であることはいずれも当事者間に争いがなく、それ以外の事実は、当裁判所に顕著である。
三 以下、原告らの信義則違反の再抗弁についての当裁判所の判断を示す。
1 被告が債務を負うに至った経過
被告(昭和二七年生まれ)は、大学卒業後、オンワード樫山及びその子会社に勤務し営業を担当していたが、倒産した取引先に対する売掛の穴を自分で埋めた方が将来にとって良いと上司に示唆され、自己名義で約一六〇万円を借り入れ、会社へ入金した。
その後、被告はこの借入金の返済に追われるようになり、債権者約五社からの職場や自宅への厳しい取立てのために心身共に疲れ果て、三か月ほど入院せざるを得なくなった。退院後、被告は退職を余儀なくされ、また妻とも離婚し、子供二人も手放すに至った。
被告は、心機一転してやり直すために転居して(ただし、住民票は現在に至るまで移していない。)、新しい仕事に就いた。しかし、新しい職場にも債権者が取立てに来たため、辞めざるを得なくなった。
その後、平成二年ないし三年ころから被告は運送会社にアルバイトとして勤務するようになり、現在に至っている。
このような過去の経験から、被告は債権者の取立てには非常な恐怖感を持っている。(以上被告本人尋問)
2 被告が原告らに支払をするに至った経過
原告らは、それぞれ独立の会社ではあるが、第一事件原告の札幌支店での貸付と第二事件原告の貸付に関する債権管理・回収業務は「スターチェーン札幌管理室」の名称のもとに、両社まとめて行っている(当審における許可代理人も両社共通である)。
右管理室に勤務して債権回収業務に従事する上条某は、平成一〇年一月一四日、被告の職場に電話をかけ、原告らに対する債務を支払うように催促をした。原告らからの請求は平成二年以来初めてであったので、被告は大変驚いた。
上条は被告に対し、遅延損害金の請求は同日までに発生した分に制限するし、他の貸金業者に被告の所在を教えないから、毎月一〇万円程度支払うように要求した。さらに上条は、第一事件原告の債権が元金・遅延損害金合わせて約二〇万円、第二事件原告の債権が同じく約一〇〇万円あるので、先に額の少ない第一事件原告の支払をするように指示した。
被告は、原告らの言うとおりに支払をしなければ、他の貸金業者に住所及び就業場所を連絡され、またかつての悪夢が再現され、せっかく立て直してきた生活が破壊されてしまうのではないかと恐れて、平成一〇年二月九日に第一事件原告に対して四万円、第二事件原告に対して三万円の合計七万円を支払い、同年三月から毎月八日に五万円ずつ支払う(弁済は第一事件原告の債権に先に充当し、これを完済後第二事件原告の債権に充当する。)ことを承諾した。
なお、この時被告は時効についての知識はなく、原告らの債権について時効が完成していることも知らなかった。被告は、もしこの時点で既に原告らの債権が時効消滅していることを知っていれば、支払を承諾することはなかったであろうと述べている。
被告は、自分がアルバイトをして貯めていた資金に加えて、不足分は母親の入院費用との名目で同僚から借りて、「第二当事者の主張三再抗弁1」記載のとおり平成一〇年二月から六月にかけて合計一二万円を原告らに支払った。
しかし、被告の支払は遅れがちであり、結局同年四月頃から督促の電話や手紙が原告らから被告の職場(被告の住所は職場の二階であるため督促が自宅宛に来たとしても、職場の者が受けることになる。)に隔日あるいは連日来るようになり、職場にも債務の存在が知られてしまい、被告がアルバイトながら任されていた班長の地位からも降格されてしまった。(以上、乙一、被告本人尋問、弁論の全趣旨)
3 時効完成後の一部弁済と時効援用権の制限
時効完成後、債務者が債務の一部弁済等債務の承認と見られる行為をした場合、債権者は債務者がもはや時効の援用をしない趣旨であると考えるから、その後債務者が時効の援用をすることは、債権者のこのような期待を裏切ることになり、信義則に照らし許されないというのが判例である(最大判昭和四一年四月二〇日民集二〇巻四号七〇二頁)。
信義則は個々の当事者間の具体的な取引場面における互いの信頼を保護する原則であるから、その適用に当たっては個別的な事情を考慮する必要がある。すなわち両当事者それぞれの取引経験や法的知識の有無・程度、債務者が債務承認に至った事情などを検討した上で、信義則の適用を決すべきである(時効完成後債務の弁済があったにもかかわらず、時効の援用を認めたものとして東京地判平成七年七月二六日金融商事判例一〇一一号三八頁、保証人が主債務の時効完成後保証債務を履行していても、主債務について時効援用を認めたものとして最二小判平成七年九月八日金融法務事情一四四一号二九頁及びその原審である東京高判平成七年二月一四日判例時報一五二六号一〇二頁)。
例えば、取引経験、法的知識において圧倒的に勝る債権者が時効の完成を知りつつ、法的に無知な債務者にあえてこれを告げないまま債務の一部の弁済をさせたような場合や、債権者が債務者の時効援用の主張を封じるために時効完成後甘言を弄して少額の弁済をさせた上で態度を一変させて残元金及び多額に上る遅延損害金を請求するような場合は、債務者が時効を援用することは債務承認行為をした後といえども、信義則に反しないことがあり得ると考えられる。むしろ、このような場合には信義則を適用して債務者の時効援用権を制限するよりも、本来の時効の効果をそのまま維持することが時効制度の趣旨からも、公平の観点からも合理的といえる。
これを本件についてみると、貸金業者として債権回収業務に日常的に従事しており、被告に対する債権についても既に時効が完成していることを熟知している原告ら従業員が、金銭消費貸借について単に顧客としての取引経験しかなく、時効制度の理解も不十分・不正確ないわゆる素人である被告に対し、言うとおりに支払えば以後発生する遅延損害金は請求しない(実際には、原告らは本訴で遅延損害金全額を請求している。)、被告が負債のある他の貸金業者には被告の所在を言わないでおいてやるなどと申し向けたために、かつて債務の取立てによって健康、家庭、仕事全てを失った経験のある被告が恐怖心に駆られて、その言いなりに、債務の一部を弁済したことが認められる。要するに、被告は、破産・民事調停等の法的手段による債務清算・整理を行わず、債権者らに連絡せずに転居した点に問題があるとはいえ、二年以上前に時効の完成した債権をなおも支払うという姿勢を示しているのに対し、原告らは被告の無知と畏怖に乗じて、守る意思も疑わしい甘言を弄して支払をさせており、原告らの信義則違反の程度、不誠実性の大きさは被告の比ではない。
右認定の事実関係によれば、被告の一部弁済によって原告らに信義則上保護に値する期待が生じるとは言い難く、他方、時効完成を知らずに、原告らに言われるままに支払をした被告が、その後時効完成の事実を知って、時効を援用することが信義則に反すると評価するのは酷にすぎる。したがって、本件においては、被告の時効援用権の行使は信義則による制限を受けないと解するのが妥当である。
よって、原告らの本件各貸金債権の時効消滅の効果は認められ、被告にはいずれも支払義務はない。
(裁判官平野哲郎)